2018-12-10

テイラー・スウィフト




テイラーのライブに行ってきた。


もう三週間も前の話になるので

だいぶ今更だけど、

そんなに時間が経ったとは思えないほど

鮮やかにわたしの中に残っているので

今年の思い出は今年のうちに、ということで

ここに書き記したいと思う。



わたしがテイラーのファンだということは

このブログはもとより

色々な場所で発言してきた。

そんなテイラーが3年ぶりに

来日公演を行うということで

わたしは未だかつてないほど

ソワソワしていた。


それは小学生の頃の遠足の前日なんて

比じゃないほどのソワソワだった。


ライブの一週間前がまさにピークで

仕事をしていても打ち合わせをしていても

上の空になっていたほど(今だから言える笑)

心が落ち着かない日々を送っていた。



年齢を重ねる度に

何かに対して追いかける熱量を

保ち続けることが難しくなってきた。

若い時は寝る間も惜しんで

追いかけていたことも

だんだんと「嗜む程度」になり

毎日溢れ出てくる情報についていけなくなって

いつの間にか離れている、なんてことが

珍しくなくなった。



何かに対して「ハマる」というのは

とってもエネルギーがいること。

自分の生活の優先順位で上位に食い込むほど

好きなものを見つけることや、

さらにそれに対して

追いかける労力や時間を割くってことが

どれだけ難しいことなのか、

ここ数年はその大変さを如実に感じていた。


例えるなら、かつて

大好きなアーティストのライブなら

モッシュでもみくちゃにされてでも

何が何でも前の方で観たい!と思ってたのが

いつの間にか最後列でお酒飲みながら

ゆっくり体を揺らして見るのが至高でしょ、

という考えに変わっていったっていうのと

似たような感じ。


それが単なる加齢による体力の衰えなのか、

わたしの好奇心の衰えなのかは

わからないけれど。



でも、テイラースウィフトには

そんなわたしの傾向を覆すほどの

とてつもない引力があった。


それは、

好きだから追いかけないと!

好きだからコンプリートしないと!

と自分に圧をかけて言い聞かせるような

「好き」ではない。


ただ純粋に彼女のことを知りたい。

彼女のために何かするのが幸せで楽しい。

という、本来ファンがそうであるべき気持ち

一色にさせてくれるものだった。



わたしを久し振りに

こういう気持ちにさせてくれたテイラー。


そんな気持ちをじゃあ

どうやって表現するかと言ったら

わたしの場合はもちろん絵になる。


テイラーの絵を描くだけに留まらず

今回のライブのために自費で

144ページにもなる分厚いイラストブックを製本した。


ライブの日に着ていくためだけに

プリント用のイラストを描いて

Tシャツとトートバッグをあつらえた。


そんなエネルギーが自分の中に

まだ残ってたんやと思うほど

私に活力を与えてくれたのだ。









近年では、好きなバンドのライブを観る時

グッズのTシャツに着替えることすら

億劫に感じていたわたし。

テイラーのためであれば

本の製作のみならずTシャツやバッグを

作ることなんてなんのその!と思うまでになれた。



もちろんアーティストに対する愛情の重さは

目に見える物や創作することで

測れるものではない。


でも、テイラーのファンの人たちはとても創造性豊かで

ものすごく手の込んだ衣装やアイテムを作る人が多い。

そんな人たちを見ていると

「わかるわかる。テイラーを好きな気持ちが

いてもたってもいられなくさせるんだよね」

とひたすら頷いてしまうのだ。


彼女には、そんな風に

ファンが行動を起こさずにはいられなくさせる

不思議な力を持っている気がする。



そんなこんなで、まんまと今回

テイラーにその気持ちを掻き立てられたわたしは

テイラーの絵が描かれたTシャツとトートバッグを身につけ

イラストブックを抱えてライブ会場へと向かった。



ライブの具体的な内容については

わたしの危うい記憶力なんかよりも

詳細で素晴らしいレポがたくさん溢れているので

そちらを是非とも読んでほしいのだけど、

本当に本当に、夢のような時間だった。



テイラーが、ステージから差し込む光と

スモークと共に現れた瞬間、

「てててテイラースウィフトが、

日本に、東京に、今ここに、

時差もなくまばたきをして、

呼吸をして、空気を振動させて

ここに存在している!!」と感極まった。


アホの子みたいな感想だけど

この時の私は本当にそれ以外の

何物でもない感情に満たされていた。


前のツアーもその前のツアーの時も

テイラーが登場したとき全く同じことを思ったけど

今回は特に強くそう思った。

自然に大粒の涙が溢れてきたし、周りでも大勢の人が泣いていた。







長い長い沈黙の末に出した今回のアルバムは

今までのテイラーのイメージとの

ギャップや変化がかなり大きくて

テイラーにとってもある意味すごく

勇気のいる挑戦だったと思う。


その変化に戸惑うファンや離れていく人も

きっと沢山いたのではないかと思う。


でも今回このライブでのパフォーマンスを観たら

絶対に離れてく人はまた戻ってくると思った。

むしろこれがテイラースウィフトの

歴代史上最盛期かもと思わせるほどの完成度だった。



大きな会場に満たされる人たちを

一瞬たりとも退屈にさせないように

凝らされた工夫の数々。


妥協も手抜きも一ミリもない

散りばめられたこだわりの数々。

夢を見ているのかな、というか

こんなことが実現するのって可能だったんだ!

と思わせるような圧巻のパフォーマンスの連続だった。









今回のアルバムを作るとき、

テイラーは世の中の自分に対する悪評や噂に

苦しめられた時のことを主軸にしたという。


ありあまるほどの富や名声を手にいれた人間にも

わたしたちと同じように心があって

生活があって、大切な人たちがいて、

守りたい存在がある。


それを脅かされ、立ち直れるかどうか

わからないほど傷ついた時に作った作品だからこそ

復帰劇ともいえる今回のツアーは

彼女にとって大きい意味を持っていたのだと思う。

その強い想いが伝わってくるものだった。



手が届かないほどのスター歌手が

さらされる悪評の力。

それがどれほど強い攻撃力を持ち

どれほどの痛みをもたらすものなのかなんて

わたしには見当がつかない。

そんな苦しさの渦中にテイラーがいたことを思うと

少し考えただけでも胸が張り裂けそうになる。



でも、やっぱりわたしの好きなテイラー・スウィフトは

誰にもなし得たことのないことをやってのける

とびきりのスーパースターだった。



いつの時代にも伝説と呼ばれるアーティストはいるけど

もうすでに亡くなってしまっていたり

かつての輝きが失われてしまっていたり。

その人の「最盛期」と呼ばれる時期を

リアルタイムで見届けるっていうことは

奇跡に近いことなのではないかとたびたび思う。


ビートルズ、マイケルジャクソン、

クイーンみたいにひとつの時代を構築した

アーティストの活動を

生で見ることができた人たちは、

本当に羨ましいなと思う。


だって、どんなに綺麗な映像や音声で

未来永劫記録として残されていたとしても

ライブの生の感動や、その場にいた空気感は

もう2度と味わうことができないのだから。



ファンの贔屓目だよと言われてしまったら

そこまでかもしれないけど、

わたしにはテイラースウィフトが

歴史に残るアーティストだという

絶対的な確信を持っている。


彼女は明らかに異彩の輝きを放っている。

これからもわたしたちの予測不能なことを次々と巻き起こし

数々の記録を実現していく女性だと思っている。


今がいつでも最盛期だと思わせること自体

とてもすごいことだけど

いつかテイラーが「昔はよかったよね」と言われる時が

来てしまったとしても、

わたしはテイラーの輝きをこうやって

リアルタイムで見届けたことを光栄に思うだろう。


その強い輝きが確かにこの瞬間存在したこと、

その輝きによって救われた事実は

これから先ずっと失われることはないのだ。



さっきから大げさに聞こえるような

話ばかりしているけど

本当に彼女に関しては

そう思わずにはいられないのだ。


どれだけ客観的に見ようとしても

好きにならずにいられない魅力がテイラーにはある。

惹きつけられずにはいられない絶対的なカリスマ性が

彼女にはある。



前々からテイラーは魅力的だったけど

今回のアルバムとツアーがさらに

それを裏付けるものになったと思う。


悠々と簡単に手に入れたものは脆いけれど、

今回の作品は彼女自身が痛みを乗り越えて

懸命に考え抜き、行動を起こして

苦しみをバネにして作り上げたものだから。


そういうものが持つパワーには

誰にも負けない説得力があるし

圧倒されるものがある。



公演中、何度も

「テイラーが今こうやって笑っていてくれてよかった」

と思った。


今回イラストブックを作ったのは

あわよくばテイラーの手元に渡せたらなと思っていたから。


テイラースウィフトという存在がいかに遠いもので

手の届かないところにいるのかというのを分かった上で

図々しいかもしれないがそんな願いを密めていた。



でも、ライブを観ていて

「まずわたしは何よりもテイラーが好きで、

楽しいと思うからこそ描かずにはいられなかったんだ。

彼女が笑ってくれたらそれだけでいいんだよな」

と考えるようになっていった。


その道の途中でいつかテイラーに

わたしの絵が届くことがあったら

それは願ってもいないほど嬉しいことだけど

それを目的や終着点にするのはやめようと思った。



好きって気持ちが

自分に行動を起こさせる原動力になることが

どれほど素晴らしいことなのか、

そういう力につながるほどのものを

見つけることがどれだけ幸運なことなのかを

改めて感じることができた。


とても幸せな時間だった。



一点の曇りもなく、

好きだと思うアーティストに出会えたこと。

そのアーティストのために何かしたいと思えること。

それが自分が心から楽しいと思えること。

いろいろな奇跡を与えてくれて

本当にありがとう、と思うことばかりだった。


たった二日間、夢のような時間は

余韻だけ残してあっという間に

終わってしまったけど、

一生忘れられない思い出になった。


これからもテイラー・スウィフトの伝説は

続いていくんだと思うと、

楽しみで楽しみで仕方ない。













2018-12-09

またね


15年前のことを今も鮮明に覚えている。



隣町のショッピングモールへ

買い物に出かけた両親から

突然電話がかかってきて

「今マンションの駐車場に着いたんだけど

荷物が多いから車から運ぶのを手伝って」

と呼び出された。


めんどくさいなぁと思いながら

兄と共にマンションの下に降りた。


助手席に座る母の膝の上には

モゾモゾと上下に揺れる段ボールが乗っていて

「なんだこれ!?」と箱を開けると

中にはキョロキョロと落ち着かない様子で

こちらを伺うビーグルの子犬がいた。



にこにこした顔で両親が

「あまりに可愛い顔で私たちに

何か訴えかけてくるもんだから」と言った。


今思えば、それはいわゆるただの

衝動買いだったんだと思う。



なんの計画も予告もなく我が家に

突然犬がやってきたのが、

今からちょうど15年前のこの日のことだった。






当時わたしは13歳。

ペットと言えばハムスターやセキセイインコ、

カブトムシくらいしか飼ったことがなかったため

突如として家族の一員となった犬の存在は

あまりにも大きかった。



わんぱくそのものだったその子を手懐けるのは

一筋縄ではいかず、戸惑うことも多かった。


撫でようとすれば腕を甘噛みするし

ペットシーツを敷けばびりびりに噛みちぎられ

ペットサークルを今にも破壊しそうなほどの勢いで

一日中駆け回る。


初めての犬の飼育は大変なことだらけで

だんだん疲れてきてしまった母は

「この子全然なつかないし困ったよ…」

と傷だらけの腕を見つめながら

大きなため息をついていることもあった。


その後しつけ教室に連れて行ったり

毎日散歩に連れて行ったり

日々を過ごしていく中でだんだんと

わたしたちに懐いてきて、

いつの間にやら違和感もなくなり

すっかり家族に溶け込んでいった。



マンション脱走事件や、

サークルを破壊して家中むちゃくちゃ事件、

ウッドデッキのプランターなぎ倒し事件など

ぽつぽつとやらかしたことはあったけど(笑)

今思えば手がかかったのはほんの少しで

それからはずっとわたしたち人間に

寄り添って生活を営んでくれてたなと思う。



犬も人間と同じように

性格に個性があると思う。


うちの犬は優しくて穏やかで

家族がとにかく大好きで

元気だけど実は控えめで

自分より体の小さい小型犬や

飛んできたてんとう虫にも

ビビっちゃうくらい臆病で

人間の心の動きに敏感で

空気を読むのが上手な犬だった。



家に来てから15年間

この子はずっと我が家の主人公だったし

何かにつけて「今どうしてるかな」と

チラチラ様子を覗きにいくのは

もうトイレやお風呂に行くのと同じくらい

生活のルーティンになっていた。



特に両親の犬に対する溺愛っぷりはすさまじく

「人間の子供(私と兄)以上に

愛情を注いでるんじゃないの笑」

とふざけて茶化すこともあるほどだった。



この子も人間に構ってもらうのが大好きで

家族にはもちろんのこと、

いつもジャーキーをくれる近所のおばさんや

散歩の時すれ違う犬仲間たち

近所の子供たちにも

しっぽをふりふり愛想を振りまいた。


犬が嫌いと公言している

気難しい近所のおばさんにも

「この子は優しい顔をしていて可愛いね」

と言わしめたこともある。


我が家だけではなく

近所の人たちの間でもマスコット的な存在に

なっていたように思う。(親バカの勘違いかもしれないけど笑)



いつもこの子の散歩やご飯の時間に合わせて

両親は外出していたし、

旅行をするにも何をするにも

常に犬優先で我が家の日常は回っていた。


わたしが上京して家を出た後も

たまに実家に帰ればいつも定位置で

「おう来たのか、おかえり」といった様子で迎えてくれた。



当たり前の存在、

当たり前の光景、

当たり前の日常だった。


この子がいなくなることなんて

考えられなかったし

想像したことすら一度もなかった。



年齢的に老犬と呼ばれる年齢になっても

もともと顔立ちが幼い方で

毛の色も白っぽくならず

若々しい時の毛艶のままだったので

あまり老犬っぽい見た目をしていなかった。


散歩に行くまでのエンジンのかかりが遅くなったり

おしっこのとき足が上がらなかったり

時折「おじいちゃんになったなぁ」と

感じることはあったものの

まだまだこのまま元気でいてくれるだろうと思っていた。



でも、ぺたりと座り込んだまま

立てなくなった日はあまりにも突然やってきた。


夕方父が普通に散歩をして

そのあと食事をしながらドラマを観ていたら

へたへたと座り込んで

そのまま起き上がれなくなってしまったらしい。

11月25日の夜だった。



寝たきりになってからは

みるみるうちに衰弱していって

このままちょっと目を離した隙に

死んでしまうのではないかと思うほど

弱々しい姿になっていった。


足が動かないことに

自分でも戸惑いを感じている様子はあったけど

痛がったり苦しんでいるそぶりはなかった。


呼吸と共にかすかに上下に動く

ブランケットを確認しては安心して

家族で声をかけたり、寝返りを打たせたり

じっと見守る日々が始まった。



そうなってからの家族の空気はどんよりと暗く

後ろ向きな言葉しか出ないようになっていった。


「今までありがとう」

「楽しかった」

「もうそろそろかもね」

「楽になっていいよ」と言う両親に

わたしは苛立って


「まだ一生懸命生きてるじゃん。

治るかもしれないのになんで

そんな別れの言葉みたいなことを言うの」

と怒鳴ってしまうこともあった。



なんとかご飯を食べてほしい。

なんとか水を飲んで欲しい。

なんとか治って欲しい。

また歩けるようになってほしい。

そればかり考えていた。


最後まであきらめたくなくて

いろんな人に教わった

老犬介護のことや栄養食を全て試した。


20件以上動物病院に電話をして

やっと手に入れた栄養食も

何度かほんの少しだけ食べてくれたりもしたけれど

最終的には体が受け付けないようになっていった。



それでもわたしたちが暗い空気にしてしまったら

それがこの子に伝わって

良くない方向になってしまいそうだから

ふざけてみたりいつもと変わらない

何気ないことを話しかけ続けた。


明るくしていれば

希望を持ち続けていれば

きっとまた良い方向に変わってくれると信じたかった。



でも、それは叶わなかった。



12月7日の午前2時48分、

見守られながら静かに息を引き取った。



正直しばらくの間は実感がわかず

いつもみたいに寝ている姿そのものだったので

今にも起きそうだなぁと

顔を見つめながらぼんやりと考えていた。


冷たくなった体を撫でて

温かかった耳の裏の体温を思い出した時

もうこの世にいないんだという実感が波のように押し寄せてきた。



遠方に住む兄にテレビ電話をかけて

姿を見せてあげた。


兄は、お前は俺の弟だからと言うほど

昔から可愛がっていたので、

仕事が忙しくなかなか帰れなかったことや

看取ってあげることができなかったことを

とても悔しそうに涙していた。



ペットとはいえ、かけがえのない家族だった。

数え切れないくらい沢山の思い出があった。

数え切れないくらい救われたことがあった。


どこを探しても

似たような毛色の子を探しても

もうこの子と全く同じ子には

出会えないんだなと思うと

悲しくて涙が止まらなかった。



一緒に歩いた道や

日向ぼっこしていたウッドデッキ

まだかすかに残る匂い

玄関に落ちている毛、

いろんなところでこの子が存在していたことを思い出した。



亡くなってから3日経った今

このブログを書いているわけだけど

あの子は最後までいろんなことを

私たち家族に教えてくれたと改めて思う。



動物を飼う、ってことが

どれだけの責任と覚悟がいるのかということ。


命あるものは必ず

別れの日がくるということ。


常にめいっぱいの愛情を

伝えてあげないと後悔するということ。


十分わかったつもりではいたけれど

実際に失った時の喪失感と痛みは

想像をゆうに超えてくるものであり、

苦しいものだった。



もっとこうしてあげたら、

もっと帰ってあげれば、

もっとこういう看病をしていたら。


今更考えても仕方のないことを

あまり考えないようにしようと心がけていても

次から次へと頭に湧き出てくる。


家を出てから一緒に過ごす時間も

撮る写真の数もぐっと減ったことへの後悔や

何かもっとできたんじゃないかなって

毎日思ってしまう。



「最期まで愛し抜いてあげられたと思うし、

きっとあの子は幸せだったと思うよ」と母は言う。


わたしたちも本当にたくさんの

癒しと幸せを毎日もらっていたし

いくら感謝を伝えても伝えきれないほど

この子に感謝している。


いい歳こいて万年反抗期の私が

家族と一緒に笑ったり

こんな風にわんわん泣かせてくれたのも

全部この子のおかげ。



がんばって最後まで生きてくれてありがとう。

この家に来てくれてありがとう。

楽しい思い出をありがとう。

沢山いろんなことを教えてくれてありがとう。

うちに来てくれたのが、この子で本当によかった。



頭を撫でた時の感触、

家族が家に帰って来た時の嬉しそうな顔、

家中に響き渡る鳴き声をずっとずっと忘れない。


またどこかでいつか会いたいな。

またしっぽを振って元気に駆け回って

私たちのところに会いにきてほしい。



本当にありがとう。