2017-08-24

26



今日で26歳が終わる。


8月25日、ヤツコの日に27歳になる。

どんな1年だったか振り返る。



すごくよく覚えてるのは、

去る2月3日にRADWIMPSの

週刊少年ジャンプって曲を

イヤホンで大音量で聴いてたら

当時の自分が置かれてた状況に

ものすごくガツンとくるものがあって



新宿の街のど真ん中で

わけわからない量の涙を流しながら

マフラーに顔埋めて

家に帰った覚えがある。

完全に不審者だった。



今の自分に嫌悪して

本当に自分がやりたいことを

全くできてない現状にも嫌気がさして


 「プライドも何もかも捨てよう!

一度リセットしよう!

勝負しよう!

何かに努力してみよう!」と、

2月3日のあの日に決意した。



「ずーっと言い訳して逃げてきたから

誰に向けてたのかわからない見栄も

何もかも全部手放そう、

自分の人生の主人公は自分じゃん!」


と、まさに週刊少年ジャンプの

漫画のセリフのような言葉を心の中に唱えてた。


今思うとちょっと、

いやかなり恥ずかしい。


痛いけど、あの時は至って本気。笑



そして当時やってた仕事を辞めて

その足で部屋の退去届をもらいに管理会社へ行き

引越しセンターに予約の電話も済ますという

おそるべき行動力を発揮した。



その1ヶ月後には3年住んでた家を引き払って

当面の間は貯めてきた少ない貯金を

切り崩しながらほそぼそ生きようと決めた。


そしてそこから半年経った現在。



本当に外に出なくなったし

お金も使わなくなったし

人にも会わなくなった。


 一日に一度も声を発さないなんてことは

ざらにあるし、

化粧もコンタクトも全然しなくなった。



8月なんて初めて買い物したのが

月の半ばごろで、

しかもApple Musicに契約するための980円だった。



ただひたすら絵を描きまくって

苦手だったデジタルで絵を描くことにも

足を踏み入れた。


そしたらありがたいことに

ちょっとずつお仕事の依頼も

いただくようになった。



その間に、ちょっとこれは

本当に乗り越えられないんじゃないかってほどの

苦しいこともあった。


もう本当にしんどかった。


言葉にしたり、思い出したくないほどの

苦しみがあった。

だけどなんとか今日まで過ごしてこれた。


友達や支えてくれる人たちの

温かい応援の言葉があったからだと思う。



こないだ見てもらったよく当たると評判の占い屋さんに

「来年はあなたにとって10年に1度の幸運な年だから

仕事を思いきり頑張りなさい。」と言われた。



他に言われたことがあまりにも当たりすぎてて

これは信じるしかないと思うので

チャンスがつかめるように頑張ろうと思った。



この間、里親募集してた保護猫ちゃんを

見ていたらこの子は私が幸せにしたい!と

心の底から思った子がいて

今のわたしの経済状況やお家では

飼えなくてそれがすごく悔しかった。


だから、まだ見ぬ未来のわたしの猫ちゃんと

一日でも早く出会えるように

安心して迎え入れられる環境を整えるために

もっと仕事を頑張ろうと思った。



そんな感じの26歳だった。



というわけで27歳になります。

大人だなあ!

でもなんか27って響き、悪くない。

自由で、楽しく、強く、輝ける27歳にしたいな。



わたしの誕生日に

テイラースウィフトが3年の沈黙を破り

新曲リリースしてくれるという

最高に嬉しいプレゼントももらったので

今年は良い一年になる気がする。笑


というか、良い一年にする。


感謝の心と謙虚な姿勢は忘れない。


でも強くたくましく生きよう、と思う。




2017-08-18

おせっかい





ある日、フォロワーさんから

「地方から東京に家族旅行に行くんですが

おすすめのお店はありますか?」

という質問を頂いた。



静岡から上京して早8年、

「東京には日本中の美味しいものがある!

一度しかない人生のうち

何回美味しいものに出会えるか楽しみ!」

という精神の元でわたしは都内のおいしいお店探しに

情熱を注いできた。



これまでも友達に美味しい店があるか

よく聞かれることがあって、その度に

「よくぞ私に聞いてくれた!」とばかりに

いつも超はりきっていた。



予算、シチュエーション、希望があれば

ジャンルを聞いて、あとは嫌いな食べ物があるか尋ねる。

そしてその条件に合うところを3~4つくらい

ピックアップして食べログのURLと

おすすめの品などの説明文を丁寧に添える。



「みつこの教えてくれたお店

めっちゃよかったよ!!大正解だった!」

「困った時のみつログだわ~」

「リピートする!」と言ってもらえたときは

喜びに満ちる。



ただ行ったことがあるとこ教えただけで

全然わたしはすごくないしただただ

そのお店がすごいんだけど、

まるでわたしがそこの店主になったような

嬉しい気持ちになる。



そんな感じで、グルメおせっかいばばあともいえる

わたしの趣味なんだけども

今回フォロワーさんにその質問を頂いて

しかもその質問の場がインスタライブだったもんだから

私のグルメおせっかい精神は大爆発。



ありったけの美味しい店!教えちゃうからね!!と

真夜中のテンションもあって1時間くらいかけて

計20店舗くらいを箇条書きにして口頭で細かく力説。





一応ぼかし。笑


これを書きながら、ここのこれが美味しい!とか

ここは予約していくべき!とか

ここはこうゆう特徴でね!とか熱弁した。



希望のテーマは「コスパ良く美味しいお店」。



某グルメサイトの会社に勤める知り合いに

「ここの居酒屋は最高に美味しくて

クオリティ超高いのに値段も安くて

まだ全然有名じゃない隠れ家だから

ぜってー誰にも教えるなよ!」

と言われてた穴場のお店もさくっと教える。笑

(ごめん、知り合いには後日ちゃんと謝りました)


美味しいお店を語ってる時間が最高に楽しくて

めちゃくちゃにこにこしながら喋った。


するとそのフォロワーの方から

その夜にメッセージをいただいて


「最高によかったです!

母も兄もとても気に入ってくれました。

次は父も連れてまたここに来ようねって話しました。

最高の東京旅行にしてくださって

本当にありがとうございます!」と、

丁寧に丁寧に感謝の言葉をくださって…。



あぁ嬉しいなぁ。

わざわざこうやって感想言ってくれて

おせっかいグルメばばあ冥利に尽きるな。

とニヤニヤしていたら

なんとその方、とても素敵な心遣いをしてくださって

素敵な東京旅行にしてくれたお礼にと

スタバのギフトチケットを私にプレゼントしてくれたのだ。


しかも、わたしに

「こんなことされても困るかと思うので

誕生日プレゼントという意味も込めて

どうか受け取ってください」と

優しいお気遣いまでしてくださって。


朝起きてメッセージを見たとき

あの日私が一方的にはしゃぎまくって

おせっかいしたようなものなのに

こんな風に感謝してもらえて、

なんだか今日は一日素晴らしい気持ちで

過ごせそうだと思ったのでした。


ついさっきの出来事なのですが

嬉しかったことなので早速書きました。


本当にありがとうございます。

大事にチケット使わせてもらいます!


そしてあの日のインスタライブで

美味しいお店の情報教えてくださった方も

ありがとうございました!


情報、随時募集中です。


今から美容院。


今日はるんるんな気分で過ごせそう。



2017-08-17

無性に

ちょっと長い文章になります。





終戦記念日に、

Instagramにこの絵をあげた。



最初はSNSに載せるための目的で

描いたわけではなくて、

72年前に神風特攻隊の任務で

命をなくした穴澤利夫さんという方への

弔いの気持ちを込めて描きたいと

思い立ったからだった。



なかなかおおっぴろげに言いづらいけど、

私は昔から第二次世界大戦の時代に

深い関心を持っていて、

そのきっかけをくれたのが

この穴澤利夫さんという方だった。



今から12年前、まだ中学3年生のとき。

深夜にたまたまついてたテレビで

ドキュメント番組が放送されていて

それが神風特攻隊についての特集だった。



婚約者と結婚する直前に出撃命令が出て

特攻で命を失ってしまった穴澤さんの事を

その時初めて知った。


近代史は受験にほとんど出ない部分だから

学校でも塾でも本当にうっすらとしか

習っていなかったので、

「神風特攻隊」というものを

具体的に知ったのもこれが初めてに近かった。



戦争が終わってもなお

穴澤さんへの想いを大事に秘めながら

遺品の軍服を抱きしめて涙する婚約者の智恵子さんを見て

頭から雷が落ちたみたいな衝撃を受けたのを覚えてる。



それまで、戦争ってものは

今の自分の平和な暮らしとは

あまりにかけ離れすぎていて、

いまいち現実味が湧かなかった。

まるで他人事のように考えていた。



でも、この番組を見たときに

考え方がまるっと変わった。



自分とさほど年齢も変わらない男女が

普通に恋をして、普通にお付き合いして

やっと夫婦として結ばれると決まった直後

抵抗できない大きな力に無理やり引き離されて、

絶望的な結末になると悟ったとき、

この時代の人はこんな遺書を書くことができたのか。

当時の私はものすごく衝撃だった。



それからというもの、

毎週末になると図書館に行って

借りられる上限の10冊分戦争関連の本を借りて

ただひたすら読み漁った。


その番組のテレビ局に

婚約者である智恵子さんに手紙を送りたいので

住所を教えてくださいと問い合わせたけど

個人情報なのでお答えできないと言われた。

(今考えたら当たり前だよね)


それならどうしても、

あの時テレビで見た番組が

もう一度見たいと思い

探し回った。

でも、動画は当時どこにも上がっていなかった。


なので私はインターネットで調べて

個人で運営されてる神風特攻隊のサイトを見つけ、

その掲示板にこれを書き込んだ。


なんと当時の私の書き込みログがまだ残ってた!

(麦子っていうのは私の当時のハンドルネーム)






所々文章がおかしいのは

見逃してほしい。



この掲示板は、内容も内容だからか

年配の方が圧倒的に多くて

私が「中学3年生です」と書き込んだら

ものすごい勢いでレスポンスが来たことも

よく覚えてる。


そしてみんなとても親切に私の考えや

質問を聞いてくれた。


こんなに若い人が戦争に関心を

持ってくれてとても嬉しいと言ってくれた。



その中の福島県に住む40代の方が

あの番組をDVDにダビングして送ってくれた。



今思えば未成年の女の子が

ネットで知り合っただいぶ年上の男性に

住所と名前を教えるなんて危ない!と思うけど

(もちろん親には言ってなかった)

あの時代に優しい人に出会えてよかったなと思う。


あの時代は今よりもこの点について

危険視されてなかった気がする。


わたしの危機管理能力が

甘かっただけかもしれないけども。

親切に送ってくれたその方にとても感謝してる。



送ってくれたDVDを擦り切れるほど

何回も見て、そのたびに

自分の中でもっともっと戦争を知りたいと思った。



ブログやSNSを

匿名でしてるわけじゃないから、

いろんな考えが持たれてる戦争のことで

誰かの意見を否定したり

自分の意見を強く主張するつもりはないんだけど


わたしの気持ちはただひとつで

ただただこの歴史を風化させたくない、

色々自分の中で理解を深めたい、

もっと知りたい、

勉強したい。

そんなことを思う10年間だった。


私ひとりが戦争を知ることでも

絶対に何か意味があると思ったから、

とにかく知る努力と忘れない努力をした。


すごく不謹慎で

ふざけた話に聞こえるかもしれないのだけど


今まで戦争や自然災害で

何万人死んだって言葉を読んでも、

いまいちその数字にぴんとこなかった。



だけど今、自分のインスタグラムを

フォローしてくれてるひとが5万人も

いてくれるようになって

ようやくその100人、1000人、1万人っていう

人間の数の重みというか、

ひとつひとつの数字がすごくリアルに感じられるようになった。


と同時に、改めて

この戦争で亡くなった人間の数が

どれだけとんでもない数だったのか

気が遠くなるような思いになった。



ひとつの国が行ったことって単位で考えたら

「あの国が先に攻撃したから」とか

「復讐してやったんだ!」とか

「あんなことしたあっちが悪い」とか、

立場によって色々な見方が出てくると思うけど


その国の中にいた権力を持たない人たちは

抵抗できないほどの大きい力に飲まれて動かされたり、

命をおとしたんだと考えると

苦しくて苦しくて、仕方なくなる。



これからも私は、

戦争についてもっと知らないといけないと思うし

絶対忘れちゃいけないことだと

世間に訴え続けようと思っている。


悲しいとか可哀想って気持ちとは

また違う感覚。


胸が痛くなるし、目の奥が熱くなる。

この感じを言葉にうまくできなくて、

もどかしいんだけど、うーん。



友達や周りの人たちに、

戦争に対して一方的に語りまくるのも

引かれるかなと思って

あんまり言わないようにしてたけど、

絵や漫画を沢山の人に見てもらう機会が増えて

しかもそれが若い人たちが圧倒的に多いから

これは伝えるべきなんじゃないか?と思って

今回インスタに投稿してみた。



他にもたくさんの読んでほしい遺書や

伝えたい事もあったけど、

初めに私の心を突き動かした穴澤さんのことを書いた。



今まで恋愛漫画や女の子っぽい絵を載せてきたのに

いきなり戦争関連のことなんて投稿したら

引かれるんじゃないかなとか不安だったけど、

勇気を出してみた。


すると、想像してなかったほど

たくさんの反応が来た。



平和を尊く大切に思う人の言葉や

戦争の経験をされた家族がいる方のエピソードもあった。


そして中に

「この投稿で穴澤さんの遺書を知り、

読みました。教えてくれてありがとうございます。」

というものも沢山あった。

もうそれだけで、

なんだか胸いっぱいになって泣きそうになってしまったのだけど



ダイレクトメッセージも沢山きて、

15~6歳くらいの女の子から

「この投稿を見なかったらきっとずっと

戦争のことを知ろうとなんて思わなかった。

初めてこんな気持ちで終戦記念日を過ごします。」

という言葉をもらった。



なんだか、それを読んだ時に

この絵を描いてほんっっっとうによかったと

頭の先からつまさきまで満たされたんだ。


自分の好きなものを語ったりするのが好きで

それを伝えるための一手段として

自分が唯一できることの絵や漫画で

発信してきたけど

こんなに、こうしてきてよかったと

思ったことは今までになかったと思う。



誰かひとりでも、

12年前のわたしみたいに衝撃を受けてくれて

今ある平和の尊さとか

過去にあった戦争の悲惨さを知ってくれたらと思って

勇気を振り絞って投稿したものに

こんなに反応をもらって、初めて知った!と言ってもらえて。


自分にとって、とても意味のあることができたと思った。

今年はそんな特別な終戦記念日だった。



戦争の経験をした人は

年々どんどん少なくなってるし

中には辛い記憶を思い出したくなくて

多くを語りたがらない人もいる。


何かをしなくてもいいし

戦争に対してそれぞれ異なった考えを持つことは

間違ってない事だと思う。


そのものを知るってこと自体に

意味があるんだとわたしは思う。

沢山の人に伝わっていったらいいなと思う。


いつかわたしが、

もっともっと知識も技術も身につけて

自分の納得いくくらい絵が上手くなったら

戦争の漫画を描いてみたいと思う。


そんなことを思った、2017年の8月15日でした。


投稿を見てくれた人に感謝です。

もしよかったら是非、

穴澤利夫さんの遺書や

他の特攻隊員の方の遺書を読んでみてほしいです。