「好きだったのに残念です」
「こんな人だと思わなくてがっかりした」と
わざわざ本人に伝えてくる人のこと。
何かを見て期待するのも失望するのも
感じ方はそれぞれで
感想を持つことは自由なこと。
だけどそれをわざわざ本人に伝えることで
「ほら見ろ、わたしはがっかりしたぞ!
お前は後悔するといい!」と言わんばかりの
意地悪な感情が透けて見えてしまって
どうもいい気になれない。
果たしてそれを言う必要はあったのか。
がっかりってなんだろう。
じゃあどうしてほしかったんだろう。
どういう人でいてほしかったんだろう。
勝手にどんな期待をかけていたんだろう。
名前も顔も知らないあなたに
何か迷惑をかけてしまったんだろうか?
疑問が次から次へと頭の中を巡る。
面と向かって会う人や
毎日職場で顔を合わす人だったら
こんなふうにきっと言わないだろう。
インターネットにいる顔も名前も知らない人なら
別に言ったって構わないという
都合の良い理論が世の中には多すぎる。
なんでも気軽にクリック一つで
直接伝えられてしまう時代もあってなのだろうけど。
芸能人なんて特に大変なんだろうな。
雑誌やテレビによって勝手に作り上げられた
イメージと素性が違ったらがっかりされるなんて
害を与えたわけでもないのに
人格そのものを否定されてるようで
考えただけで窮屈で仕方ない。
もちろん無条件で人に優しくしなきゃだめ、
褒めなきゃいけないなんて図々しいことを
言いたいわけではない。
ただ、画面越しの存在にもちゃんと心があって
生身の人間だってこと。
指先で軽い気持ちで打ちこんだ言葉でも
受け取った側は深く残るってことを念頭に置きたい。
これは自分もたまに忘れているときがある。
わざわざ本人に言う必要なかったかも…と思うことが
過去にあったから気をつけないといけないなと思うこと。
インターネットって、今となっては
なくてはならないくらい便利なものだけど
付き合い方がむずかしいなあと思うことが
年々増えてってる気がする。
きらきらした人たちがわんさか溢れてるから
「この人と比べてなんで自分は素敵になれないんだろう」って
無駄に落ち込むし。
よく考えたら人と比べること自体が間違ってて
とってもとっても小さくて狭くて
くだらないことなんだけどね。
でもそういう人たちを見様見真似で
それっぽく見せるのなんて
実はとても簡単なことで
蓋を開けてみたら全然違った!なんてことだらけなんだと
思うんだ。インターネットって。
(もちろん本当に素敵な人もたくさんいるよ)
自分では騙してるつもりはなくても
やっぱり自分のダメなところを人に見せるのは恥ずかしい。
どうせだったら良い人に思われたほうがいいし
そう思うのはとても自然なことだけど、
それがいつの間にか自分の足かせになってるんじゃ
と思うことがある。
親友や家族にだって
ありのままなんでもさらけ出して
生きてる人なんてあまりいないはず。
インターネットに世界中に向けて
全て発信してますって人なんているわけがない。
やましいことでも隠してるわけでもないけど
人に知られたくない一面なんて
誰にだって普通にある。
だけどそういう人に見せても恥ずかしくない部分だったり
「こういう風に思われたい」って気持ちが積み重なっていくから
どんどん理想の人物像としてふくれあがっていって
それが一人歩きしてってしまうのかな。
そう思うと、発信する側の
自業自得でも多少あるのかな。
だからといって、そんな実体のない
まやかしに縛られて
どこかの誰かさんの期待通りの
人間でいなくちゃいけないなんて決まりはない。
自分の発言、行動、人生は
誰かの期待に応えるためではない。
そんなの考えただけで疲れてしまうし
そもそも正解なんてないはず。
自分という人間は
何をしているときが楽しくて
どこにいるのが心地よくて
何に向かって進んでいきたいのか。
心の底から好きだと思うものを知って
それにめいっぱいの愛情を注ぐ。
大切にしたい人を大切にする。
自分という人間の本質を知る。
生きてく上で大事なことって
シンプルにそれだけでいいんじゃないか。
誰かに期待するものでもないし
されるものでもない。
失ったり裏切られるものでもない。
なんか話が無駄に広がっていってしまったけど
何が言いたいかって要するに
「知らない誰かにがっかりされる筋合いはない!」ってこと。笑
引っ越しの荷造りで
黙々と断捨離している中考えていた、ひとりごと。