2018-08-31

ブルー・スエード・シューズ




最近のいろいろを箇条書きで書いていく。

書き溜めていたものなので時系列はバラバラ。




・何度も同じようなことを言ってる気がするけど

面白い漫画を読むと素直にその面白さに没入できず

嫉妬心がむくむくと角を出してきてしまうから

その点漫画家という職業は損だなあと思った。


映画を観ていても

小説を読んでいても

歌を聴いていても思う。


何か良いものが他人から生まれてしまった時点で

もうそのアイデアと似たようなものを

後から出したら真似やらパクリやらと

言われてしまうんだなあという切なさを感じてしまう。



斬新なアイデアが毎年毎日毎時間生まれてる世の中で

よくもまあ飽和しないなぁと思う。

そして同時に焦る。

早く絞り出さないと誰かの

二番煎じになってしまうんだという気持ちになる。

そんなものに囚われずに

のびのび自分が楽しく描けたらいいのにな。


でも心のどこかで

今抱えてるこの嫉妬心とか焦りは

自分にとってとてもプラスなものだって

思えてるところもあって。


それは若かりし頃、恋愛で抱いてた

醜い嫉妬心を知っているから。

それはもう、本当に酷いものだった。


好きな人に関わる全ての可愛い子が大嫌いだったし

コスメの勉強やダイエットの努力なんかしなくても

素材が良いからどんなに自然体でも

様になってしまうような子に

噴火しそうなほどの嫉妬心を抱えていた。


今思えばあの時の私は何をあんなに卑屈になり

他人と自分を比べて、自らを窮屈にさせ

奪われることを恐れていたのだろうと思う。

あんなに出口が見えなくて生産性のない

嫉妬心はなかった。

もうあんな誰も幸せにならない嫉妬心を

抱えるのはいやだ。

相手にも申し訳ないような

想いのぶつけ方をしてたと思う。



あの頃の嫉妬心に比べたら

今自分が抱いている嫉妬心は

とっても前向きで楽しくて

向上心に満ち溢れさせてくれる嫉妬が

きちんとできているなと思う。


多分あの頃の私が今の私のこの言葉を読んでも

「けっ、うるせえおめーに何がわかるんだ」

と言うんだろうだけど。笑


うまく付き合っていきたい、

自分自身と。





・最近どこかのコラムサイトで

浅野いにお先生が執筆している日記が

とても面白くて読むのにハマっている。


日記連載と銘打っていたけど

エッセイのような内容なんだろうなと思ってたら

本当に「日記」だった。


どこからどう見ても正真正銘の

「日記」だった。


かなり開けっぴろげに書いていて

読んでいるこっちがこんな赤裸々に

私生活を書かれてあるものを

覗き見してもいいのだろうかという気持ちになった。


印象操作をしようなど

微塵も感じさせない浅野いにお先生の

日常が本当に面白かった。




・数年前、スマホのカメラロールの中に

絶対見覚えがないし絶対保存していないし

絶対検索もしていない謎の画像が入っていたことがあって

最近スマホの中を整理をしていたら

久しぶりにその画像が出てきたので

画像検索をかけてみたら

全く関連する画像がヒットせず、

余計に恐怖心を煽るだけだった。


この画像は一体なんなのか。

どんな写真なのかというと、

外国風の建物の中にある祭壇?のようなものを

階段の下から撮っていて

木の床に不自然すぎる黒い大きなシミがあり

そのシミを全体の中心に置いて撮った写真なのだ。


一体なんなんだろうこの画像。

地味に怖くない?

モヤモヤが晴れず消すに消せないままでいる。




・劇団四季のキャッツを観てきた。


キャッツははっきりとした

起承転結のストーリーがないと聞いていたから

今まで見たことがないタイプの

ミュージカルだなぁと思って

あえて予備知識を一切入れずに観劇した。


ここで感想を書き出したらきっと

どえらい長さになってしまうので割愛して

いつかレポ漫画に思いの丈を詰めようと思うけど

キャッツ本当にすごかった!


初観劇した人の6割が

リピーターになるというのも納得!


11日に開幕してもうすでに

2回観に行ってしまった。


本物の猫よりも猫らしい体の動きと

迫力ある歌とダンスに最初から最後まで

ずっと驚きの連続で

3時間遊園地のアトラクションに

ずっと乗り続けてるような気分だった。


パンフレットと

とっても可愛い四角い缶をお目当てに

チョコクランチを買った。








・28歳の誕生日だった。

何をしたのか端的に言うと

昼は友人と会い、夜は家族と食事に行った。


「今日何がしたい?

みつこの行きたいところに行こう」

と言ってくれた友人にリクエストしたのは

遊就館という歴史資料館だった。


去年の誕生日も行ったので

図らずも2年連続誕生日に行くことになった。


もともと近代史に興味がすごくあって

ここには上京してからもう何度も

足を運んでいるんだけど、

8月は戦争に関して思いふけることが多くなるので

行きたいなあと思う時期が毎年ちょうどこの辺りになる。



「歴史なんて興味ない」って

一蹴されることも多くある中で

「私もずっと行ってみたかったんだ!」と言って

快く一緒に行ってくれた優しい友人は

展示されている特攻隊の遺書を見て

静かに涙を流していた。


良い友達を持ったなと思った。









夜は久しぶりに両親と食事へ行った。


誕生日に家族で食事に行くのって

何年ぶりだろうと考えてみた。


18歳で上京して早10年。

東京に来てからお付き合いした男性とは

交際が長く続いて当たり前のように

誕生日は恋人と一緒に過ごしてきたし

(去年お別れしてしまったけど)

高校時代も友達や彼氏と過ごした記憶しか

見当たらない。


もうかれこれ中学生ぶりか?

いや、中学生の私は絶賛鬼の反抗期だったから

行っていないはずだなとどんどん記憶を遡っていくと

家族で誕生日のお祝いを最後にしたのは

多分小学生の高学年くらいかもという結論に至った。


ここまで久しぶりだと

「28歳で両親にお祝いしてもらうなんて

今更恥ずかしくない!?」と思ってしまった私は

友人にこのことを尋ねてみた。


友人はあっけらかんと

「えっむしろ良いことじゃん!

親が産んでくれたんだよ?

行くべきだよ!」と言ってくれたので

そういうもんか~とぼんやり思った。



私はいい年こいて未だに結構

反抗期を引きずっていて

親と顔を合わせるとしょっちゅう喧嘩はするし

仲が悪いってわけではないが

世間で言う仲良し親子っていうタイプでもない。


でも、その日の母と父はなんだか終始嬉しそうで

お酒がちょうどよく回り始めると

いつもより会話が弾んで楽しかった。

たまにはこういう誕生日も良いなと思った。



「誕生日は産んでくれた親に感謝する日」って

言葉をよく耳にするけど

自分を産んだ両親と

私の赤ん坊時代の思い出話で盛り上がったり

歴史資料館に行って戦争時代を生き抜いた

祖母祖父や曽祖母曽祖父のことを考えたりと

なんだか28年間生きてきて

ある意味一番「誕生日らしい誕生日」を

この日過ごせたんじゃないかなと思った。



SNSでは沢山の人から

長文でメッセージや似顔絵もいただいて

すごく嬉しかった。


中には10年以上前から

私を見てくれてるという方もいて、

「ミツコさんとは一緒に大人になっていった気分です」

という言葉をいただいて

思わず電車の中でほろっときてしまった。


絵から離れた時期もあったし

某歌のように都会の絵の具に染まってしまって

毎日遊ぶのが楽しくて仕方がなくて

慢心から自分を磨いたり努力するってことを

忘れていた時期もあった。


でもそんな時もずっと

見守ってくれていた人が

いたんだなあと思うと

感謝の気持ちでいっぱいになった。


日付が変わってすぐ

友人から細木数子の六星占星術の年表とともに

おめでとうのLINEが送られてきて

来年から大殺界に入るという余計な情報までもらったけど(笑)

27歳と変わらずなんとか走り抜けて

良い1年にしていけたらと思う。








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