2018-12-09

またね


15年前のことを今も鮮明に覚えている。



隣町のショッピングモールへ

買い物に出かけた両親から

突然電話がかかってきて

「今マンションの駐車場に着いたんだけど

荷物が多いから車から運ぶのを手伝って」

と呼び出された。


めんどくさいなぁと思いながら

兄と共にマンションの下に降りた。


助手席に座る母の膝の上には

モゾモゾと上下に揺れる段ボールが乗っていて

「なんだこれ!?」と箱を開けると

中にはキョロキョロと落ち着かない様子で

こちらを伺うビーグルの子犬がいた。



にこにこした顔で両親が

「あまりに可愛い顔で私たちに

何か訴えかけてくるもんだから」と言った。


今思えば、それはいわゆるただの

衝動買いだったんだと思う。



なんの計画も予告もなく我が家に

突然犬がやってきたのが、

今からちょうど15年前のこの日のことだった。






当時わたしは13歳。

ペットと言えばハムスターやセキセイインコ、

カブトムシくらいしか飼ったことがなかったため

突如として家族の一員となった犬の存在は

あまりにも大きかった。



わんぱくそのものだったその子を手懐けるのは

一筋縄ではいかず、戸惑うことも多かった。


撫でようとすれば腕を甘噛みするし

ペットシーツを敷けばびりびりに噛みちぎられ

ペットサークルを今にも破壊しそうなほどの勢いで

一日中駆け回る。


初めての犬の飼育は大変なことだらけで

だんだん疲れてきてしまった母は

「この子全然なつかないし困ったよ…」

と傷だらけの腕を見つめながら

大きなため息をついていることもあった。


その後しつけ教室に連れて行ったり

毎日散歩に連れて行ったり

日々を過ごしていく中でだんだんと

わたしたちに懐いてきて、

いつの間にやら違和感もなくなり

すっかり家族に溶け込んでいった。



マンション脱走事件や、

サークルを破壊して家中むちゃくちゃ事件、

ウッドデッキのプランターなぎ倒し事件など

ぽつぽつとやらかしたことはあったけど(笑)

今思えば手がかかったのはほんの少しで

それからはずっとわたしたち人間に

寄り添って生活を営んでくれてたなと思う。



犬も人間と同じように

性格に個性があると思う。


うちの犬は優しくて穏やかで

家族がとにかく大好きで

元気だけど実は控えめで

自分より体の小さい小型犬や

飛んできたてんとう虫にも

ビビっちゃうくらい臆病で

人間の心の動きに敏感で

空気を読むのが上手な犬だった。



家に来てから15年間

この子はずっと我が家の主人公だったし

何かにつけて「今どうしてるかな」と

チラチラ様子を覗きにいくのは

もうトイレやお風呂に行くのと同じくらい

生活のルーティンになっていた。



特に両親の犬に対する溺愛っぷりはすさまじく

「人間の子供(私と兄)以上に

愛情を注いでるんじゃないの笑」

とふざけて茶化すこともあるほどだった。



この子も人間に構ってもらうのが大好きで

家族にはもちろんのこと、

いつもジャーキーをくれる近所のおばさんや

散歩の時すれ違う犬仲間たち

近所の子供たちにも

しっぽをふりふり愛想を振りまいた。


犬が嫌いと公言している

気難しい近所のおばさんにも

「この子は優しい顔をしていて可愛いね」

と言わしめたこともある。


我が家だけではなく

近所の人たちの間でもマスコット的な存在に

なっていたように思う。(親バカの勘違いかもしれないけど笑)



いつもこの子の散歩やご飯の時間に合わせて

両親は外出していたし、

旅行をするにも何をするにも

常に犬優先で我が家の日常は回っていた。


わたしが上京して家を出た後も

たまに実家に帰ればいつも定位置で

「おう来たのか、おかえり」といった様子で迎えてくれた。



当たり前の存在、

当たり前の光景、

当たり前の日常だった。


この子がいなくなることなんて

考えられなかったし

想像したことすら一度もなかった。



年齢的に老犬と呼ばれる年齢になっても

もともと顔立ちが幼い方で

毛の色も白っぽくならず

若々しい時の毛艶のままだったので

あまり老犬っぽい見た目をしていなかった。


散歩に行くまでのエンジンのかかりが遅くなったり

おしっこのとき足が上がらなかったり

時折「おじいちゃんになったなぁ」と

感じることはあったものの

まだまだこのまま元気でいてくれるだろうと思っていた。



でも、ぺたりと座り込んだまま

立てなくなった日はあまりにも突然やってきた。


夕方父が普通に散歩をして

そのあと食事をしながらドラマを観ていたら

へたへたと座り込んで

そのまま起き上がれなくなってしまったらしい。

11月25日の夜だった。



寝たきりになってからは

みるみるうちに衰弱していって

このままちょっと目を離した隙に

死んでしまうのではないかと思うほど

弱々しい姿になっていった。


足が動かないことに

自分でも戸惑いを感じている様子はあったけど

痛がったり苦しんでいるそぶりはなかった。


呼吸と共にかすかに上下に動く

ブランケットを確認しては安心して

家族で声をかけたり、寝返りを打たせたり

じっと見守る日々が始まった。



そうなってからの家族の空気はどんよりと暗く

後ろ向きな言葉しか出ないようになっていった。


「今までありがとう」

「楽しかった」

「もうそろそろかもね」

「楽になっていいよ」と言う両親に

わたしは苛立って


「まだ一生懸命生きてるじゃん。

治るかもしれないのになんで

そんな別れの言葉みたいなことを言うの」

と怒鳴ってしまうこともあった。



なんとかご飯を食べてほしい。

なんとか水を飲んで欲しい。

なんとか治って欲しい。

また歩けるようになってほしい。

そればかり考えていた。


最後まであきらめたくなくて

いろんな人に教わった

老犬介護のことや栄養食を全て試した。


20件以上動物病院に電話をして

やっと手に入れた栄養食も

何度かほんの少しだけ食べてくれたりもしたけれど

最終的には体が受け付けないようになっていった。



それでもわたしたちが暗い空気にしてしまったら

それがこの子に伝わって

良くない方向になってしまいそうだから

ふざけてみたりいつもと変わらない

何気ないことを話しかけ続けた。


明るくしていれば

希望を持ち続けていれば

きっとまた良い方向に変わってくれると信じたかった。



でも、それは叶わなかった。



12月7日の午前2時48分、

見守られながら静かに息を引き取った。



正直しばらくの間は実感がわかず

いつもみたいに寝ている姿そのものだったので

今にも起きそうだなぁと

顔を見つめながらぼんやりと考えていた。


冷たくなった体を撫でて

温かかった耳の裏の体温を思い出した時

もうこの世にいないんだという実感が波のように押し寄せてきた。



遠方に住む兄にテレビ電話をかけて

姿を見せてあげた。


兄は、お前は俺の弟だからと言うほど

昔から可愛がっていたので、

仕事が忙しくなかなか帰れなかったことや

看取ってあげることができなかったことを

とても悔しそうに涙していた。



ペットとはいえ、かけがえのない家族だった。

数え切れないくらい沢山の思い出があった。

数え切れないくらい救われたことがあった。


どこを探しても

似たような毛色の子を探しても

もうこの子と全く同じ子には

出会えないんだなと思うと

悲しくて涙が止まらなかった。



一緒に歩いた道や

日向ぼっこしていたウッドデッキ

まだかすかに残る匂い

玄関に落ちている毛、

いろんなところでこの子が存在していたことを思い出した。



亡くなってから3日経った今

このブログを書いているわけだけど

あの子は最後までいろんなことを

私たち家族に教えてくれたと改めて思う。



動物を飼う、ってことが

どれだけの責任と覚悟がいるのかということ。


命あるものは必ず

別れの日がくるということ。


常にめいっぱいの愛情を

伝えてあげないと後悔するということ。


十分わかったつもりではいたけれど

実際に失った時の喪失感と痛みは

想像をゆうに超えてくるものであり、

苦しいものだった。



もっとこうしてあげたら、

もっと帰ってあげれば、

もっとこういう看病をしていたら。


今更考えても仕方のないことを

あまり考えないようにしようと心がけていても

次から次へと頭に湧き出てくる。


家を出てから一緒に過ごす時間も

撮る写真の数もぐっと減ったことへの後悔や

何かもっとできたんじゃないかなって

毎日思ってしまう。



「最期まで愛し抜いてあげられたと思うし、

きっとあの子は幸せだったと思うよ」と母は言う。


わたしたちも本当にたくさんの

癒しと幸せを毎日もらっていたし

いくら感謝を伝えても伝えきれないほど

この子に感謝している。


いい歳こいて万年反抗期の私が

家族と一緒に笑ったり

こんな風にわんわん泣かせてくれたのも

全部この子のおかげ。



がんばって最後まで生きてくれてありがとう。

この家に来てくれてありがとう。

楽しい思い出をありがとう。

沢山いろんなことを教えてくれてありがとう。

うちに来てくれたのが、この子で本当によかった。



頭を撫でた時の感触、

家族が家に帰って来た時の嬉しそうな顔、

家中に響き渡る鳴き声をずっとずっと忘れない。


またどこかでいつか会いたいな。

またしっぽを振って元気に駆け回って

私たちのところに会いにきてほしい。



本当にありがとう。





10 件のコメント:

  1. いつも、楽しくブログやインスタの投稿、
    漫画を拝見させております。

    人様のブログに投稿したことがない為
    稚拙な文章になっているとは思いますが
    ご容赦いただければ幸いです。

    大切なご家族を失ってとてもお辛いですよね。
    私も、4年前の年明けに愛犬を亡くしたので
    とてもよくわかります。

    うちの子も、ミツコさんのワンちゃんと一緒の
    ビーグルでした。うちの子もかなりやんちゃな子でした。笑

    ブログを読んで当時のことを思い出して
    お恥ずかしながらボロボロ泣いてしまいました。

    ミツコさんのブログの中にもありましたが、
    「失った時の喪失感と痛みは、想像を余裕で超えてくるものであり、苦しいものだった。」
    まさにその通りでした。

    うちの子は、悪性リンパ腫でしたので、
    半年は持たないとお医者様に
    いわれていたので覚悟はしていましたが、
    亡くなった当時は喪失感がとてもすごく
    自分の身体の一部が本当に抜け落ちて
    しまった感覚に襲われました。
    ペットとはいえど、本当に自分の家族
    なんですよね。

    ミツコさん、今年の冬は
    なんとも言えない寒暖差がひどいです。
    しばらくはお辛いと思いますが、
    どうかお身体ご自愛ください。

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  2. 一昨年 実家で暮らしていた猫が亡くなった時のことを思い出して涙が出ました。私も亡くなってすぐはもっとどうにか出来たのかとか、逆に色々な延命処置をして人間のエゴだったかなとかひどく落ち込んでいました。家の近くに移動式火葬車を母が呼んで一緒に立ち会い、たくさんの思い出話をしながらお見送りしました。最初は辛すぎて2人とも嗚咽しながらでしたが 話してるうちに、胸がいっぱいというか、感謝の気持ちがすごく溢れてきて本当に本当に楽しかった ありがとうって心から思えてお見送りできました。

    今は哀しい気持ちのほうが強いかも知れませんが いつか楽しかった思い出を話せる日が来ると思います。そうやって思い出してあげるときっとワンちゃんも天国で喜んでくれると思います。
    またどこかで絶対会えますよ! 私の母は夏に蛍を見に行って「1匹だけ近寄ってきた蛍がいた!れんちゃん(亡くなった猫)が蛍になって会いにきてくれた!」と喜んでいました。(笑)

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  3. わたしの実家で飼っていた犬も今年天国にいってしまいました。
    弱ってしまってからは本当に早くて…
    きっとまだ大丈夫、一緒にいられる!という気持ちと、もう痛い苦しい思いはしてほしくない、という気持ちが一緒になっていました。
    いなくなってしまってからは、誰も責めることは出来ないのに、後悔ばかりで、家中沈んでしまいました。
    でもずっと心の中にいてくれるので、時が経つとともに少しずつ、苦しみは消えてくると思います。
    本当に、いのちを預かるということは重みのあることですよね。
    ミツコさん、ご家族、ご近所の方に愛されたわんちゃんは絶対に幸せでした。
    これからは苦しいことがなく、別の場所で健やかに過ごせますように。
    いつかまた、会えますように。

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  4. きすきゃみてぃー2018/12/09 23:42

    長い時間一緒に過ごした家族とのお別れ、悲しいですよね、、、。
    でもきっと、わんちゃんも一緒に過ごした、沢山の家族との思い出や、思うように身体が動かなくなってしまった自分の為に栄養食や介護について最後まで色々探してくれてたミツコしゃんの姿を見て、幸せだったと感じてたと思います。
    私も姉を亡くして今月で1年になります。今はトイプードルのわんちゃんが家族になり、今では雰囲気も明るくなりました!
    悲しい気持ちや辛い気持ちだと思いますが、あまり無理をなさらないでくださいね、、、
    無理してしまうと、天国のわんちゃんも心配してしまうと思いますので、今は無理せずゆっくり休んで、泣きたい時には泣いて、また元気になったら、天国のわんちゃんに見守ってもらいながら、ミツコしゃんはミツコしゃんなりの人生を楽しみましょう!また会えますよ、会いに来てくれますよ、きっと��

    文字にするのは得意ではないので、もし、このコメントで気分を害してしまったら、申し訳ないです。

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  5. わたしも3ヶ月前、愛犬が天国に行きました。
    ほんとに同じ気持ちだから、思わずコメントしてしまいました。
    ほんとにいろんなことを教えてくれた愛犬に
    、そして親に感謝しています。
    私は父が他界しているので、天国で二人で楽しくやってくれていたらいいなと思っています。
    いつかわたしもそこに混ざれるように、人生がんばるぞー!楽しむぞー!笑

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  6. みつこさんの文章を読んで、
    過去に飼っていた犬たちが亡くなったときのことを鮮明に思い出しました。
    今飼っている子も、いつかこのときがくるって、
    今は信じられないけど、必ずそうなんだと
    怖くなったけど、そのぶん、その時が来ても「最期まで愛し抜くことができた」と思えるように今を大切にしていきたいと思いました。



    このブログを書くこと、きっと辛かったと思うけど、すごく大切なことだと思うし、変な言い方ですが、すごく良い文章で、たくさんの愛が伝わってきました。
    みつこさんの家族になれて、
    きっとすごく幸せだったろうなあ。

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  7. もりけむ2018/12/10 0:26

    ミツコさん、
    私も今年の3月に愛犬を亡くしました。16歳のダックスフンドです��
    ミツコさんと同じく、家を出てからなかなか会いに帰ることもできず、母から急ぎの連絡が来てやっと会いに行きました。つまずきながら歩く姿を見て見て涙が出そうになりましたが、母は『昨日からまっすぐ歩けなかったのに、あんたにいいところを見せようと頑張ってるよ』と…
    家族の中で一番ナメられていた私でしたが、そんな姿に絆を感じて涙と笑いが溢れました��
    最期の時に私は立ち会えなかったので、見守ってもらえたミツコさんのワンちゃんはとっても幸せでしたね。私もミツコさんと同じく、愛犬には沢山のことを教わった気がします。
    うちの愛犬が亡くなったのも、急に暖かくなって寒暖差の厳しい時期でした。人間も体調を崩しやすいですもんね。最近また急に寒くなったので、ミツコさんもどうかお気をつけて…
    またインスタライブに出会えるのを楽しみにしています��WEB連載もインスタ投稿もいつも楽しみにしています!
    長々と失礼しました!

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  8. いつもInstagram楽しく拝見させていただいていています。
    私たち家族の犬も本当に同じような状況で、突然元気がなくなり、亡くなりました。15歳と3カ月。前日までは散歩も少しだけどしていました。
    私が飼い始めたのは9歳の時で、成人した後くらいからは同級生たちに「わんちゃんまだ生きてるの?!」なんてよく言われたものです。
    私たち家族も、ミツコさんのお母様の言うように「長生きしてくれてありがとう。たくさん愛してあげられて後悔はないし、きっと幸せだったと思う。」と思っています。でも、8年経った今でもたまに夢に出てくるし、こうやってペットを亡くした方の思い出を読むとやっぱり声が出るほど泣いてしまいます。
    ペットとはいえ家族を亡くすことは本当に大きな出来事で、私は父が泣くのをその時初めて見ました。
    まだ携帯で手軽に動画を撮る時代ではなかったので思い出は写真がほとんどで、なかなか動いている姿を収めたものがないのが残念です。

    後悔のない旅立ちだとしても、何年経っても悲しいです。無理に消化しようとしなくても大丈夫かなって思います。
    また夢で会えますよ!私は本当にしょうちゅう出てきて、会ったことのない私の息子と遊んでいたりします。

    また更新楽しみにしていますね。応援しています。

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  9. ご愁傷様です。
    読んでいて涙が溢れてしまいました。
    ご両親がわんちゃんの寿命を察して後ろ向きな言葉をかけるようになった、と書かれていましたが、わたしには後ろ向きな言葉というよりかは、後悔しないように伝えたい事を伝えたかったのではないかな、と感じられました。
    もちろん、みつこさんの諦めたくないのに!!という家族に苛立つ気持ちもとてもよく分かります!
    ただ、亡くなった後では何を言っても届かないので…。
    私も今年の夏に大好きな祖母を亡くし、耐え難い喪失感と悲しみに襲われました。
    私も考えないようにしているけど、悔やむことばかりです。たまに夢で会えることが嬉しく感じます。目が覚めた時に「もう会えないんだ」と気付くと涙が出るのですが。
    夢でも良いから会いたいです。
    この悲しみを乗り越える日がくるのか、分かりかねますが、一緒に頑張りましょう!!

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  10. にゃるみ2018/12/10 9:24

    いつもインスタの投稿など、楽しみに拝見させております。
    ミツコさんの心中お察しいたします。
    このブログを読み、人生の半分を一緒に過ごし、5年前にお別れした愛犬のことを改めて思い出しました。
    その子は老化からの耳の病気になり、そこから認知症もではじめ、最後の一年間は介護の日々でした。
    自力じゃ後ろ足を支えられなくなり、サポーターをつけながら二人がかりで散歩に行ったり、夜鳴きが激しくなったため、同じように布団で寝たり、、
    すごくすごく胸が痛む一年間でした。けれど、それ以上にその子と過ごした15年間はかけがえのない、胸が暖かくなるような、愛に溢れた、私の人生においてなくてはならない時間でした。
    ミツコさんの愛犬くんも、たくさんの愛を残してくれたのだと思います。その愛を胸に、これまで通りに、いや、これまで以上に輝いていくミツコさんのことを愛犬くんは望んで、そして見守ってくれているのではないかと思います。
    そして、いつの日か再開できその日まで、ミツコさんが穏やかに日々を送れますように、いちファンとして願っています。
    一段と寒くなってきましたので、お体には気をつけてください!
    長々と失礼いたしました。

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