2020-04-23

ないものあるもの



・生きていると

選択を迫られる時というのが

節々にやってくる。


きっと死ぬまで

その繰り返し繰り返しなんだろう。



答えの選び方や悩む度合いは

その時々で違うけど

自分の腑に落ちる答えは

多分いつも一つしかなくて


それをどうにか

現実問題と自分の間で

ちょうどいい落としどころを見つけていく。


なんだか今もぼんやりとだけど

そんな感じの時が来ている気がする。



今までが豊かで騒がしすぎて

いろんなことがごちゃごちゃしてたけど

今は多くのことがとてもシンプルに

本来の自分を取り戻そうとしているような気がする。


自分はどこに向かいたいのか

何がしたいのか。


何をしてる時に生きがいを感じるのか。

何が成長と繋がっているのか。

何に価値を感じるのか。



26歳の時も

こういう問いを自分に投げかけて

散々悩んで答えを出したことがある。


わたしの今までの人生で

一番大きな節目はきっとあの時だったと思う。

今またこういう問いが

自分の中に浮かび上がってきてるということは

きっとまたこれも未来につながる

大きな選択になるからなのか。


その繰り返し、その繰り返しなんだよな。




SNSは世の中の色々を知るのに

とても便利で楽しいツールだけど

たまに雑音になってしまう時がある。


昨日なんてまさにそうだった。



寝つきが悪い深夜の時間帯。

心のゆとりがない時に覗くと

うっかり危ないゾーンに

足を踏み入れてしまう。


今までの自分がやってきたことが

全て否定的に思えてしまうような

ひどい精神状態になるのでとても危険。


素晴らしい人は素晴らしい。

素敵なものは素敵。

良いと感じたものをインプットをする。

ただそれだけで自分の中で

完結できたらいいのだけど、

そうもいかないから難しい。



自分の人生も、今の力量も

今できることもこれからしたいことも

結局自分にしかわからない。


誰も代わりになってはくれないし

真剣になるのもいい加減になるのも

ぜんぶ自分次第。

自信がないのなら

自信を持てるように変わりたい。


その自信を持つための努力が

わたしは人よりも全然足りてない。


自分の中の最初の直感を

何より大事にしたい。

後悔しないように時間を過ごしたい。


物事を散漫とさせる色々が

削ぎ落とされている今だから

選べる答えがあると信じたい。






・仕事の合間に、

去年の秋にお仕事で行かせてもらった

フランスでの思い出を漫画に描くことが

最近のひそかな楽しみである。



半年以上も時間が経ってしまって

忘れてしまったこともポロポロあったけど

たくさん撮ってあった写真を

見返しながら順を追って

漫画にしていくと、

芋づる式にどんどん記憶が蘇ってきて

すぐにタイムトリップすることができた。



今どこにも行けないこんな大変な時だからこそ

遠くの地に恋い焦がれてしまって

切なくなった。


あの瞬間の乾いた空気や風の匂い。

自分の慣れ親しんだ日常と

まるで異なった世界が同時に存在して

回っていたんだということを知った時の

あの感動が恋しい。



今これを書いている瞬間も

あの土地は存在していて、

あの時会った人たちも今も

それぞれの暮らしを営んでいるのかと思うと

なんだか不思議である。


あの時話した店員さんも

案内してくれた人たちも

みんな元気にしているかな。

病気にかかっていないといいな。



幼い頃から、

高速道路を車で走っているときや

離陸したばかりの飛行機から遠くの街を眺めている時

同じことを考えていた。


「あの小さく小さく見える家にも

一つ一つ暮らしがあって

一つ一つの人生があるのか」とか


「あのマンションを真っ二つに切って

断面図を見たらみんな違うことをしていて

違う時間を生きてるんだな」

と考えることがよくあった。


フランスに行ったときは

「その遠くにあった街に

実際に来てしまったんだ!」

という感動があった。


いつかまた行きたいな。

この気持ちを今は原動力に

楽しくぽつぽつと描き進めようと思う。



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